壮絶な人生の軌跡:私の物語
弱き身体と戦う幼少期
私の幼少期は、まさに試練の連続でした。生まれつき体が弱く、食も細かった私は、食事のたびに母親を困らせていました。
「ごはん嫌い!お米なんてなくなればいいのに!」と駄々をこねる私の姿は、家族にとって日常茶飯事のドラマでした。
どれだけ健康に育てようと努力しても、食事に対する抵抗感はなかなか消えることはありませんでした。
命の危機に直面した小学1年生の試練
小学1年生の時、私の人生はさらに過酷な試練に見舞われました。
急性扁桃腺炎で入院し、手術後に院内で風邪を引いてしまい、急性肺炎にかかりました。
この時、私は一度命の危機を迎えました。病院に見放され、両親は私を看取る覚悟で地元の個人病院に転院しました。
1週間以上意識不明だった私は、「これが最後の花火になるだろう」とおじさんの背中の上で地元の花火大会を鑑賞し、その夜、奇跡的な回復を見せて命を取り戻しました。
この奇跡の回復は、私の家族にとって希望の光となり、私自身にも深い影響を与えました。
中学生時代の大きな別れ
中学生時代、私にとって心の支えだったおじさんが急性心不全で急逝しました。
前日まで一緒に食事をしていたため、『人間ってこんなにあっけなく亡くなってしまうのか』と深いショックを受けました。
この別れは、私の人生において大きな転機となり、人間の儚さと命の尊さを痛感させられました。
学生時代の栄光と挫折
小学校時代と中学校時代、私は「神童」と呼ばれるほど勉強も運動も優れていました。
しかし、それは単なる井の中の蛙であることを知るのは高校生になってからでした。
県内で一番の進学校に進むと、信じられないほどの奇人変人秀才天才が沢山いました。
周囲の期待とプレッシャーが次第に重荷となり、私は挫折を味わうことになりました。
高校2年生の緊急事態
高校2年生のある朝、突然の腹痛で病院へ行き、急性虫垂炎と診断され緊急手術を受けることになりました。
麻酔が効かず、激痛に耐えながらの手術は、人生最大の試練の一つでした。
手術中、手を握りながら「大丈夫?」と声をかけてくれた看護師さんが天使に見えたのは言うまでもありません。
後で知ったのですが、お酒に強い人は麻酔が効きづらいそうです。
大学生になってからの健康
大学生になると、なぜか病気知らずとなりました。
振り返ると、受験勉強のストレスが原因だったのかもしれません。
ストレスは万病のもととはよく言ったものです。
社会人生活の苦労
大学卒業後、大手企業で設計の仕事に従事しました。
納期を守るため毎日のように終電で帰り、土日出勤も当たり前の労働環境は、今の時代では考えられない過酷なものでした。
若くして高給取りとなっても、休日もなくお金を使うところがなかったため、「お金を使いたい」という衝動に駆られ、価値もわからず宝石や絵画などの芸術品を買い漁りました。
今思い返せば、不動産投資などをしておけば良かったと思います。
41歳の胆嚢手術
41歳のとき、残業中にみぞおちに痛みを感じ、翌日の検査で胆嚢に腫瘍が見つかりました。
胆嚢全摘手術を受け、病理検査の結果、良性だったことがわかりました。
扁桃腺、盲腸、胆嚢と摘出したため、『他に取れるものはあるのだろうか』と思ってしまいました。
48歳の化学物質アレルギー
48歳で突然の化学物質アレルギーに見舞われ、アロマや香水、タバコの煙などで呼吸困難に陥りました。
病院でのCT撮影時には造影剤でアナフィラキシーショックを起こし、集中治療室で生死の境を彷徨いましたが、命を取り留めました。
注射や薬を含む化学物質は怖いものだと実感しました。
過度のストレスと転職
過度のストレスで精神的な病を患い、サラリーマン生活が困難になりました。
起業を決意するも、世の中は甘くなく、苦しい日々が続きました。
サラリーマンを続けられる人は、安易に辞めない方が良いと思います。
詐欺と失敗
貯金を切り崩しながらの生活で怪しい投資話に手を出し、数千万円以上の詐欺に遭いました。
借金がかさみ、マンションを差し押さえられ、離婚に至りました。
普通の人が経験したことのない経験をたくさんさせていただきました。
裁判所へも行ったことがあります。
学んだ教訓
「楽して稼げるものはない」と、高い授業料を払って学びました。
サラリーマンに戻ることもできず、将来への不安が募りました。
AIを使った副業の成功
しかし、苦境の中で私は新たな道を見つけました。
AIを使った副業を自動化し、毎月安定した収入を得る仕組みを構築したのです。
40年以上も掛けてたった65,000円/月程度しか貰えない国民年金と同程度の収入は、たった3ヶ月ほどで作れるようになりました。
このノウハウを販売し、同じような境遇の人々を助けることを目指しています。
この壮絶な人生の中で、私は数々の試練を乗り越えてきました。
病気や怪我、過酷な労働環境、経済的困難、そして失敗と挫折。
しかし、そのすべてが私を強くし、新たな挑戦へと導いてくれました。
今では、過去の経験を活かし、他の人々の支えとなることが私の使命だと感じています。
私の物語は、まだまだ続きます。